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飛騨のやきもの

ページ番号 T2000056  更新日  平成27年2月27日

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渋草焼

1841年(天保12年)、郡代、豊田藤之進によって企画され、尾張から戸田柳造を招いて始め、苦心の末、磁器をつくることに成功。数年後には九谷から画工を招き赤絵を付けました。当時の製品は飛騨赤絵、飛騨九谷と呼ばれる程美しい赤絵を付けましたが、その後衰退し、明治初期、再興しました。尾張と有田と九谷の長所を採り、ミックスして作り上げたのが、今日の渋草調といえる焼物です。磁器(芳国舎)と陶磁器(柳造窯)の2つの窯元があります。

写真:渋草焼1

写真:渋草焼2

山田焼

農民や町民の生活に密着した陶器を焼いてきたのが山田焼きです。高山市の西方にある山田町に窯があり、雑品を焼く窯として愛されています。

写真:山田焼

小糸焼

江戸・寛永年間(1620年代)、飛騨三代目藩主・金森重頼公が、地元で茶器などを焼くために京から陶工を招き、高山市西方の「小糸坂(こいとざか)」に窯を築いたのが始まりです。
現在は、茶道具からモダンなクラフト作品まで幅広く作陶しています。小糸焼独自の渋いコバルトブルーの釉薬(青イラボ)は多方面で高く評価されています。

写真:小糸焼

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電話:0577-35-3145 ファクス:0577-35-3167
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