飛騨高山の伝統工芸まとめ (飛騨春慶、一位一刀彫、小糸焼、渋草焼、飛騨家具、さるぼぼ)

飛騨高山には匠の技が今も息づいています。木を知り、漆を操り、土石を生活に活かす「技」として受け継がれ、やがて「匠」と呼ばれるようになったその技は今日も継承され磨かれつづけています

飛騨高山の伝統工芸まとめ (飛騨春慶、一位一刀彫、小糸焼、渋草焼、飛騨家具、さるぼぼ)

飛騨春慶

木地師と塗師が受け継いだ伝統的な技法で生み出される国指定伝統的工芸品

飛騨春慶は、約400年前、金森可重が城下に神社仏閣を造営中、工事に従事していた大工の棟梁高橋喜左衛門が、たまたま打ち割った批目の美しさに心を打たれ、これを風雅な盆に仕上げました。この盆を成田三右エ門が木目を生かし、透漆にて塗り上げたのが始まりと伝えられています。良質の木材だけが持つ木肌も素朴な美しさと、透明感のある淡黄金色を放つ透漆塗りの技法が見事に融合し飽きの来ない風合いをかもしだしています。花器、盆、膳、器、茶道具のほか、現在のライフスタイルに合わせた名刺入れなどの商品も高山市内の店舗で販売されています。

一位一刀彫

木目の美しさを活かし、色を付けない飛騨高山を代表する彫刻、国指定伝統的工芸品

一位一刀彫は、江戸時代末期、高山の松田亮⾧が飛騨の象徴であるイチイ材を用い、採色を施さない独自の技法で根付彫刻をつくったことが始まりとされます。良材選びに始まり、木取り等6つの工程を経て仕上げた作品は、年月とともに木肌や木目の色艶が増すことが魅力となっています。

小糸焼

独自の渋いコバルトブルーが特徴の小糸焼

江戸・寛永年間(1620年代)、飛騨三代目藩主・金森重頼公が、地元で茶器などを焼くために京の陶工を招き、高山市西方の小糸坂に窯を築いたのが始まりです。
現在は、茶道具からモダンなクラフト作品まで幅広く作陶しています。小糸焼独自の渋いコバルトブルーの釉薬(青イラボ)は多方面で高く評価されています。

渋草焼

染付・赤絵・青磁等昔ながらの手造り手描きにより伝統を継承する渋草焼

天保12年(1841年)に、郡代豊田藤之進によって企画され、尾張から戸田柳造を招いて始め、苦心の末、磁器をつくることに成功。数年後には九谷から画工を招き赤絵を付けました。当時の製品は飛騨赤絵、飛騨九谷と呼ばれる程美しい赤絵を付けましたが、その後衰退し、明治初期、再興しました。尾張と有田と九谷の長所を採り、織り交ぜて作り上げたのが、今日の渋草調といえる焼物です。磁器(芳国舎)と陶磁器(柳造窯)の2つの窯元があります。

飛騨の家具

使ってみたい家具ばかり 木の美しさと温かみが、落ち着いた生活空間を作ってくれる「飛騨の家具」

森林資源が豊富な飛騨地方は、匠の技と心を受け継ぐ技術者が大勢おり、木材加工業が盛んです。その中でも、家具生産は約100年前から始められ、日本を代表する洋風家具「飛騨の家具」として広く名を知られています。木を曲げる技法が早くから確立されており、優れた加工技術によって頑丈な構造になっているのが特徴のひとつであり、木の色や木目を生かした、美しく洗練されたデザインも人気となっています。座り心地の良い椅子をはじめ、テーブル、デスク、収納家具、ベッドなど製品はさまざま。高山市内に多くのメーカーがあり、各社のショールームで製品を見ることができます。

飛騨の工芸品

あたたかみがあり、素朴で癒される飛騨高山の工芸品

木づくりの置物や細工物や、信仰心を集める絵馬や円空仏、そして懐かしさいっぱいの玩具や染め物、刺子…。しっとりとした絹のような手触りが楽しめる桐細工。素朴で親しみ深い工芸品は、独特の文化を持つ飛騨ならではの品々です。

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